話を聞かずに何かのパターンに当てはめてしまう心理とは

誰もが経験したことがあると思うが、相手に何か伝えたときに、その話について触れずにそれってこれじゃんと何かのパターンに当てはめる人がいる。

今回は、何故人は話を聞かずに当てはめてしまうのか考えてみます。

例えば、下ネタを発言したときに相手から変態じゃんと言われ、変態枠に分類されてしまう。そして変態に分類されると周りからの扱いが酷くなってしまう。

もう気づいたかもしれないが、これは自己防衛に繋がっているのであります。

分かりやすく例えるとランクの層があり、下ネタは下から数えた方が速いぐらいに下のランクの為、私はそのランクではない、お前はそのランクだと分類してしまうのだと思っております。

この分類が原因で言いたいことが言えない、話を聞いてもらえない、盛り上がらないといった現象が起きている。

じゃあ、この分類ランクごっこを個人がどう抜け出せるのかというと、分類癖のあるグループから抜けて、話を聞いてくれるまともな人間と関わることに尽きる。

なので、今後コミュニケーションを楽しみたいのであれば、ごっこ遊びをする人から離れ、新たな良い人間関係を築いていく必要がある。

 

最後に

相手の話を聞き、相手の目線に立つ必要がありますわな。

 

コミュニケーションの誤学習

今回は、日頃のコミュニケーションの中で見えなくなってしまっている部分について書いていきます。

 

なぜ、見えない部分が生まれるのかというと、本音を言わない、平気なふりをする等の理由があると思っており、これらが原因で相手は偽の情報で学習し、コミュニケーションに問題が生まれてしまうのである。現に若者とメッセージや会話でコミュニケーションを取ることが多いが、99%の割合で誤った発言をしてしまう。

あなたは、こう言われると嫌がるのねという言葉がその代表例であり、殆どの人が根本的に思考する事ができていないのである。

正しくは、人間はそれを言われると怒りの感情が芽生えるから、こういう発言は気を付けようと考えるべきで、演技の上手な人を基準にしてはいけない。

若者だけでなく、40代、50代の昭和なパワハラも、誤った学習によって生まれたパターンの1つだと思える。

なので、もし相手から何か言われて怒りの感情が生まれたときに、怒りの感情を出し、そんな事言わないよと伝えてあげてほしいと思います。

 

最後に

今回の問題は表面上に過ぎないので、そもそもから考える癖をつける必要がある。

そうすることで、様々な問題の本質が見え、コミュニケーションの質が上がると思ってます。

推測の罠

今回は、相手に対しての根拠のない推測で判断するという癖について書いていきます。

普段、色々と頭の中で考えて発言する訳だが、その発言を完成させる為に根拠のない推測を混ぜて楽をしようとする。自分もそういう場面がちらほらあり、それを疑う人はいるが詰めてくる人は周りにいないため、その発言が通った形になってしまう。

この問題は何かというと推測を混ぜた発言がお互いの間を飛び交うことで、虚構が生まれ、中身のない空洞が完成し、無力感や信頼を損ねることに繋がる。

では、どうすればこの問題を解決できるのかというと、知識だけで考えるのではなく、一人の人間と向き合うことに尽きる。片方だけでなく両方そうすることで成り立つ。また、よく頭のいい人が考えた推測に感銘することがあるが、そこには愛はなくコンピューターが計算したような結果に見えてしまう。そこには、実際に会ったこともない人まで含むような発言がされている。

なぜこうなってしまうのか考えると、これまでに得た知識がそうさせているとしか言いようがないと思う。

例えば、統計的に考える人の発言に多く触れていればそれに影響される。

もちろん、統計を上手く利用する場面はあるが、人の中身について考えるときに統計を使う必要はないと思う。

 

最後に

賢そうな人の発言を疑う、そもそも人が権力の層に従って生きている以上は、緩い発言が通ってしまうことを前提に生きていくと何かに気付くことがあると思う。

 

子供と関わるのは楽だが大人は難しい

今回は、日本での大人との人間関係のややこしさと大人と子供の違いについて書いていきます

 

自分が大人ではなく子供と関わる理由

・お互いが意見を言い合う事ができる

何故かというと、子供には大人が持っているプライドや常識がないからである。その常識やプライドが弊害となり、意見を言えない空気が構築され、時が止まるのである

 

・仲良くなれる

これは、子供と関わると一発で理解できる。ただ、子供のワガママ等の可愛い部分に耐えられない人は仲良くなれないだろう。また、大人との関係は表面上の付き合いである為、ストレスフルである

 

・色々と学べる

先程も伝えたが、本音を伝えてくれるため、わざわざ大人がよくする妄想かっこつけ客観視をする必要が殆どなく、事実に基づいた客観的な意見を受け取ることができ、自分の癖などに気付くことができる

 

・楽しいし癒される

これは人によって意見が分かれると思うが、偏見や固定概念のない正常な大人なら可愛いと思うのが自然だと思う。なぜなら、子供は基本的に自分の世界で生きている為、その様子を見るのが楽しく可愛いと思えるからである。大人になると大半の人は自分だけの世界から抜け出し面白くない人になってしまうからだ。また、大人と接すると礼儀作法で始まり礼儀作法で終わるので、地獄と思ってもらっていいだろう。仲良くなったつもりでも大人の壁が立ちはだかり、刺激がなく物足りなくなってしまう

 

・子供を学ぶことによって人間の本質を知る

このテーマは偏っているかもしれないが、大人の場合は、自分を隠し通すので人について学べることは殆どない。逆に子供の場合は、素直に感情的になるので新鮮な人の動きを学ぶことができる

 

大人と関わるコツ

・色々考えて発言する

要するに地獄である

 

理想の大人

・これまで散々子供を褒めてきたが、やはり大人に変化してしまう部分もある為、そこを受け入れつつ、子供の素直さを持つことで愛される人になれると思っている。ここでは大人の部分は体の事ではなく、無邪気さのことである。それに加え、子供のいい部分を引き出せるといいと思う

 

最後に

大人を見下し子供を褒める会になってしまったが、そうなってしまっている事実は変わらない。また、この記事を読んだなら子供との接し方が変わるであろう。日本全体が大人のイメージを変え、素直に生きていくことでコミュニケーションが楽しくなり幸せに繋がると本気で思っているので、子供から学び、大人+子供の心を持つといいと思う

生きるってなんなんだ

今回は、答えはないが生きるとは何なんだについて書いていきます。

 

この問題についてだけしっくりこないというのがリアルで、考えても考えても答えが見えない。

自分が生まれた過程は分かるが、何のために生きていくのかが全く分からない。

それは、自分が生きて子孫を残す為なのか、他人や社会の為に生きるのか、仲間の為に生きるのか等、様々な理由が考えられるが、それらがごっちゃごっちゃになり複雑になっていると思う。

なので、答えは分からないがシンプルに生き抜く方法を探る。

 

①自分が生きることだけを考える

シンプルで聞こえはいいが、孤独になりメンタルがやられる可能性があるから何ともいえない

②子孫を残すことだけを考える

これでは仕事がままならない

③仕事に全振り

これでは愛に飢え、地獄が待っている

④身近な人を愛し、支え合う

仕事中は、愛するという行為は論外である

⑤哲学的な思想を持たない

要するにこのテーマや、様々なことを考えることを辞めて無になる。夜中の外をずっと眺めてると気付くと思うが、何も変化がなく無に近いように思える。その中で自分で勝手に思想にまみれ、変化しているという錯覚に陥っているから、自然の中に身を置くといった感じ

 

最後に

個人的には、⑤が一番しっくりくるので、謎に進化している人間社会に目を向けるのではなく自然に目を向け生きていこうと思う。ここでは気楽にや、ゆったりといった人間社会の中で不自然にカスタマイズされた言葉はここでは使わずに生きていくという言葉のみを使っている。

多様性ついての理解

今、再び多様性について考える機会が増えてますが、多様性と言われて何となく分かってるが根本的に何なのか理解している人は少ないと思っているので、それについて書いていきます。

 

まず、多様性が何故理解されず、少数派の弱い立場の人が差別を受けてしまうのかというと、多様性は他人事ではなく自分事として考えることで理解が深まるからである。

自分の場合は、常識にのまれない性格なので立派な大人の自分は存在せずに女性、男性、赤ちゃん、大人などの自分が存在していることを知っている。要するに生物的に存在しているありのままを受け入れるということ。

なので、多様性について理解ができ受け入れることができ、信頼できる人には表現することもできる。

 

では、どうすれば多様性の理解が進むのか自分なりに考えると、やはり立場が上の人が下の人に常識を植え付けず自由に自分を表現してもいいよということを教えたり、上の人が表現することで、多様性を受け入れる環境ができあがっていくと思う。

子供によっても、それは気持ち悪いやそれはカッコいいなどと考え方にばらつきがある時点で問題だと思っている。なぜなら子供はそのときの価値観のまま大人になるからである。当然ながら大人になった瞬間人が変わるわけがないからである。また、人によってのバラツキがあるのは問題ないが、気持ち悪いなどの差別に繋がるとポイントを無くさないといけない。

 

どこを変えれば差別が減るというと、学校、家庭での子供への教育しかないと思う。

その中で多様性について理解の深い人が増えることによって、そういう人の発言が徐々に日本の空気感を変えていくからだ。

今、常識に凝り固まった大人を変えるのは、ほぼ不可能だからである。

実際に50代の人に意見を言えば分かると思うが、自分を否定したと勘違いし相手を嫌うのである。

そんな未熟な人で溢れた日本では今すぐどうこうなる問題ではない。

 

最後に

多様性について分かったつもりで色々と発信したとしても、自分の表現は何も変わらず変化はないので、根本的に理解することで、表現が変わり、より良い人間社会になると思ってます。

その表現を皆が受け入れることのできる社会になるといいですね。

大人が知っておくべき全能感について

今回は、全能感について書いていきます。

全能感というのは調べたら分かりますが、ざっくりいうと子供が抱いている僕は何でもできるんだという意識のことをいう。

これは、子供の頃なら問題ないが大人になってからも全能感を抱いている人が多く存在している。社会学者の宮台真司さんが言っていたことですが何故、大人になっても全能感から抜け出せないのかというと、子供の頃に親や教育者から押さえつけられたせいで反抗期がないからだと言ってました。自分は、それが全能感とどう繋がるかは直感的に理解できませんが、多分、反抗期があると色々な人とぶつかったり色々なことに挑戦する中で、あれ?以外と何もできねえし世の中何も変わらねえという事に気付き、全能感が消滅すると思ってます。

そして、全能感をもった大人がどういう行動をするのかというと、例えば誰かも知らないどうでもいい人達からSNSで永遠と承認欲求を追い求める。何故なら、全能感があるせいで、本来どうでもいいはずのいいね数等を競ってしまうからだ。日本でTwitterが流行る原因の1つと考えてもいいと思う。

次に会社では、部下にマウントをとってしまう。例えば、ミスをした部下に対して俺はそんなことでミスをしないなどの見栄を張った発言などをしてしまう。そうやって自慢することで承認欲求に繋げているのだ。それに加えてポジショントークにも繋がるので、会社や部下にとって何も良いことはない。

なので、そうなってしまった大人から全能感が抜けることは非常に困難な為、これからできることは、子供の反抗期を許容することである。そうすることでより良い社会に繋がるからである。

 

最後に

自分は、正直大人になっても全能感をもっていた時期があります。子供の頃に反抗期があったのにも関わらず。

なので、反抗期だけの問題ではなく、社会生活をする中で強い挫折感を感じ、現実に戻ることが大事だと思います。

そして、子供には羽を伸ばしてもらい、より早く現実を知る必要がありますね。