呪いと闘争

本日は、悪魔の呪いと闘争について書いて参ります。

人は思考できるだけに色々考えてしまい遂には呪いを受けるのである。

その呪いの正体は流石に分からないが、道徳心や倫理等からくると思っていて、ただの人生ゲームのような軽い時間を過ごすわけにはいかないのである。

例えば、自分の時間を無駄に使ったと感じただけで、何かから呪いを受けたように感じがして落ち着けないのであーる。

また、頑張らないといけないなどもそれに含まれる。

そんな中、どうにか呪いを受けない方法はないのかと考えるとある言葉が天から降ってきたので紹介しておきます。

めちゃくちゃ勿体ぶったが、その言葉は闘争であーる。

分かりやすくいうと、争いの中で生きていると捉えることです。

先程の例を再び言い直すと、時間を無駄に使ったのではなく、争いに敗れたと捉えることもできる。そう捉えることで勝負論に持ち込み、冷静にその状況を分析することができる。闘争なしの場合では、自分しか見えてなかった景色から更に広い視野で物事を見ることができるのであーる。

めちゃくちゃな話に聞こえるが、様々な呪いを受けているように感じる人からすると、ありふれてはいるが画期的な発想だと思う。

そうすることで、悪気が消えて呪いも晴れるはずでございます。

それと、1番分かりやすい例は、蚊が攻めてきたときに呆気なくやっつけた場面で、ここに闘争というワードをいれるだけで申し訳ないから闘いに勝利したと捉えることができ、呪いに打ち勝つことができる。

要するに何がいいたいのかというと、心の持ちようでメンタルの全てが決まるということであーる。

弱い考えが呪いを呼び込み、強い考えが呪いに打ち勝つ。

ただ、それだけのことであります。

 

最後に

ここで紹介した考えは良き人間関係で使ってほしくないので、それ以外の場面で使って頂きたいと思います。

昔の狩猟時代(原点)に戻り、人間らしさをぷんぷん漂わせて、流れの早い現代社会と立ち向かっていこうではありませんか。

また、平和になった日本では、物凄く緩い考えと文化が浸透し心と体が弱くなっていると思うので、使えない製品を捨てるのと同じ感覚で緩い考えは捨てるべきである。

 

最後の最後に

わたくしの記事を最後まで読んでくださる方は、数少ない仲間だと思っておりますので気楽にコメントして頂きたいと思っております。

 

「闘争、植え付けられた呪いを燃やし尽くせ」