頑張るというワードから生まれる何かについて

基本的に抽象的概念が大好きな私なので、本日も抽象的な内容をお届けします。

頑張るというワードが好きな人はいますか?

実は、私はめちゃくちゃ苦手な言葉です。身の毛もよだつ程、嫌いではありませんができれば耳にしたくないと思っています。

では、なぜこのワードが不気味で違和感を感じるのか考えていきたいと思います。

 

ここでは頑張るという、いやらしい言葉をやるぞーおーみたいなアクションを起こすときに勇気を出すための掛け声として定義してみます。やはり、何事も定義をしないとまともな話になりませんので。

そうすると、どこまでやるの?という疑問が直ぐにわいてきます。そういう謎を打ち払うことのできる言葉が頑張るという言葉の闇の一部分だと思っております。

例えば、二人の農民がいます。二人とも頑張るぞ~と言い放ってから作業を開始します。作業を終えた後にB君がA君に、全然頑張ってなかったじゃんと言ったとしてます。このときに何が問題なのか既に分かると思いますが、実はA君もB君と同じぐらい頑張っていたと捉える事もできてしまうのです。分かりやすくいうと、気持ちの問題と成果の問題がごっちゃになってしまっているのです。なので、私はこのワードが苦手で仕事の場ではまず使いません。

今回は、極端な例で説明しましたが頑張る事を目的にしてしまうととんでもない結果を招くことは理解してくれたと思います。

また、頑張るというイメージは人によって違いますので、強烈に大変なのです。

 

最後に

世の中には、とんでもない数のややこしい言葉達が溢れています。例えば、頑張る、努力、正義、悪、うざい、強い、弱い、多分、ニャー、ばっびゅー(ネタです)など言い出したらキリがありません。なので、大事な場面では、なるべく使わないことをおすすめします。

では、また明日!(本日2回目、、)