遺伝子コード通りに生きて死ぬだけという淡白な人生と鮮やかな意味を

今回は、当たり前のことを当たり前に考えてみます。

 

人は遺伝子コードを持っており、泣けるぐらいそれに沿って物事を判断していく。

例えば、身を守る為に何かを辞めたり、子孫を残す為によりよい相手を選んだり、身の安全性を高める為に優秀な人と関わりゴマをすろうとしたり、生きるためにご飯を食べたりと全ての行動の裏には遺伝子コードが関わっていると思っている。

そこで生きる意味とは何ぞやについて考えると、何故か分からないが何かしらの理由で遺伝子コードに情報が書き込まれ、それを謎に引き継いでいくというシステムが出来上がっているので、そのシステムに従うことこそ生きるということになると思う。

なので、遺伝子コード自体が意味であり、生きるというのは、ただのシステムの流れであると考えることもできる。

これを見ると悲しくなるが、嬉しいことに感情という高機能システムが搭載されているため、悲しみを感じてしまうが楽しい思いもすることができる。

それに本質的ではないが、追加で生きる意味を加えることもできるため、色鮮やかにすることもできる。

自分の場合は感情に寄り添うのが好きなので、愛や友情こそが生きる意味であると考えているのでありますのます。

 

最後に

本質的に考えるとあっけない人生だが、それはそれでシンプルでいいと思うので、そこを踏まえて上で味付けをすれば、納得のいく考えを構築でき、生きる意味について悩む事はなくなると思います。

それと、長い時間と様々な反応などの中で奇跡的に生まれたシステムなので、個人がそれについて考えてしっくりくるわけがない。

とりあえず、人によって遺伝子コードが少し違うかもしれないので、あれですが想像と現実は違うという認識をもってゆったりと生きていきましょう!