家畜と人間のパワーバランスについて

今回は、家畜(牛)と人間のパワーバランスの中を見ていこうと思います。これから動物の命に関わる仕事をしていく為、この問題について考える必要があると思い記事を書くことにしました。

 

言うまでもないが、人間が牛をコントロールしており、牛は人間にコントロールされている現状であり、これは弱肉強食の世界では、あり得る話で疑問に感じることはない。ただ、同じ生き物である牛の扱いについて疑問を感じる人は多いと思うが、日々の生活の中で、その思いは直ぐに薄れて消えていく。要するにこのパワーバランスは、人間が地球に存在する限り変わらない、倫理観を持ったところでいずれは悲しい結末になる。その中で、人間ができることは何かを真剣に考えると人を増やしすぎない、人々が贅沢を捨てる、効率&合理社会から離脱するみたいな事をやっていく必要があるが、現実的に考えてほぼ不可能ということは分かる。牛は、虫と違い様々な感情があり涙を流すこともある。そんな側面を持った生き物に対して人間が、もう少しできることはないだろうか。最終的には人に食べられるのだが、この現実に立ち向かっている人が実際に存在しており、少しでも命をまっとうできるよう支援をしている。こういう活動を世の中に知らせる事はできるが、直ぐに情報の渦の中に消えていき、数週間後にはなかったことになってしまう。そもそも、この資本主義が止まらない限り全ての牛を部分的に救うことはほぼ不可能である。人はお金の奴隷であり、牛は人間の奴隷である限り。

ここで、パワーピラミッドを作ってみる。

資本主義(お金)>既得権益にすがる権力者>人>他の生き物という構造になっており、お金が頂点に立っている。ここがポイントどあり変えなくてはならないのだが、長い歴史の中で出来上がってしまった構造を変えることは、よっぽどの出来事がおきないと不可能である。なので、下位層にいる私ができることは、奇跡的にこの構造に抗う人についていくか、自分がその人になるかである。ただ、構造は変わらない為、結局お金の奴隷になり脱力してしまう。

 

最後に

変わらないものは変わらないと諦めて自分の人生を楽しく生きるか、この構造内でもがき苦しむながらも自分のできる範囲で変えていくのどっちを選びますかという話でした。自分の場合、行動は前者で考えは後者を押しているという空っぽの人間なのですが、これからそういう仕事をしていく中で行動部分が変わっていく可能性があるので、悲観的にならず、どうするか考えていこうと思っております。