堀江貴文さんのryuchellさんが亡くなられたことについてのコメントについて

この前ryuchellさんが自殺をしてしまった事について堀江貴文さんがYouTubeにて解説をしていましたが、そのコメントについて思う事があったので書いていきます。

 

①誹謗中傷が原因で自殺が起きたのでネットでの誹謗中傷を辞めましょうという動画なのにコメントが荒れている件

これは、もうどうしようもできないなと正直思いました。自分自信も20才近くに視野の狭い時期に有名人に対しての間違った正義感で誹謗中傷コメントをしてしまった事があります。なので、誹謗中傷コメントをしてしまう人の気持ちも分かるので、自殺という出来事が起きたとしても、自分の正義感を貫くという人も存在するのでそれは止められないんだなと思ってます。

なので、前の記事にも書きましたが有名人や自分の意見をネットで書いて炎上してしまう人がどうすればいいのかというと、チームでSNSを運用するか使わないということをおすすめします。

コメントした人は誹謗中傷と思ってないが(間違った言論の自由)、それを受け取った人は誹謗中傷と感じてしまうという最悪のネット独自の環境なので、それで悩んでるのならそんなとこから抜け出しましょう。

自分はYouTubeで配信をしており、たまに誹謗中傷と捉えることのできるコメントが来ますが、YouTube配信だとその場で言い返して相手にとどめを刺す事ができるので全くストレスなく続けることができます。しかし、Twitterをやっている頃は、クソコメントだけ書いてブロックし即逃げるということもあり、どうしても不愉快な気持ちになってしまいます。

なので、ストレスのないネットとの向き合い方を自分なりに考えていく必要があると思います。

 

最後に

やはりネットだけだと相手が存在しているという事実が薄れてしまうので、ネットで人と関わるときは、より言葉に気を付ける必要があります。

そして、この現象は今後も続きますのでそんな環境で頑張る必要あるのかなという話でした。

最後まで見てくださりありがとうございます。

りゅうちぇる自殺について

衝撃的なニュースでした。

本日、タレントのりゅうちぇるさんが今のところ原因不明だが自殺しました。

実際に会ったことはないですが、それについて思うことを書いていきます。

 

①何故、自殺したのか

本人に直接聞いた訳ではないので事実は分かりませんが、推測では、SNSでの誹謗中傷から人を信頼できなくなり心が孤立した。何故誹謗中傷を受けたのかというとネットで調べたら分かると思うが、離婚時の炎上が大きいと思う。

なので今回な、この問題を考えた上で今後どうするべきかについて考えて終わりにします。

 

②離婚問題について(詳しくはネットで調べてほしい)

まず、結婚すらしていないであろうSNSの若いユーザー達が離婚というワードに釣られて感情的になり、たった一組の離婚に集中攻撃をしてしまったという点と、りゅうちぇるの妻についての批判があってもいいはずだが、りゅうちぇるに集中してしまい、メンタルが崩壊したのではないかと推測できる。当然ながら結婚は二人の同意で行うのであり、りゅうちぇるの強制ではない。また、りゅうちぇるSNSにどっぷり漬かっていた事も問題であり、その何も見えない環境の中でストレスを抱えていたはずだ。

 

③では、どうすれば自殺しないで済んだのかを考えると、まずSNSを利用しないことに尽きる。多分、これまで反抗期を向かえた事がなく、全能感から脱却できずに承認欲求を求めたが為にどっぷり漬かってしまっていたと考えられる。

次にりゅうちぇるに対してメンター的な存在が居たら大きく結果は変わっていたと思う。大きな壁と戦っていたりゅうちぇるだったが、その中で落ち着いて立ち回れるようにサポートする人がいれば炎上を回避できたかもしれない。

結局、フォロワーや世間の民度を直ぐに変えることは不可能であるため、関わらないことが重要であり、理解してくれる人とだけ深く関わることが重要である。

また、鬱になりやすい特徴も備えている為、それも原因の1つであると思うので、そこをもう少し踏ん張って変えれたら楽になったかもしれない。

 

最後に

この問題について思うことはたくさんありますが、27才という若さであれだけの国民と向き合っていたと考えると心がゾッとします。

大事なのは、低民度と関わらない事と民度を上げることだと思うので、この件を境に一人一人が多様性と寛容性をもって生きてほしいなと思います。

それとSNSで文句だけ垂れるクズに対しての考え方を最後に紹介します。

リアルで会ったら何も言えない可愛いオタクと思えばイライラしなくなり、スルーできるので皆さんも試してみてください。

 

ネガティブに紐付けるのではなくポジティブに

今回は、ネガティブに考えてしまう癖を治してみよう企画をやっていきたいと思います。

この企画では、長期的に実践していく中で上手くいったいかなかったをメモして更新しようと思います。

その中で鍵となるのは、心とは?という疑問を自分なりに見つけることだと思うので、そこもまた記事にしようと思います。

根拠はないが現段階で心について分かってるのは、実態がなく思考でコントロールできるというところである。

感覚的には、胸の心臓部分を意識し奥に押したり前に出したりする。

そこで奥に押したときに、鬱っぽいときや落ち込んだときにめちゃくちゃ近い感覚になるのが分かると思う。

逆に前に出したときは、ポジティブな気持ちのときに近い感覚になる。

ということは、もしかしたらその意識だけでも大きく変化するのではないかと思っている。

ここで、何故こういう現象が起きるのか仮説を立ててみると、シンプルに押し込んだときに圧力で苦しくなり、生命的危機と脳が判断する可能性がある。

逆に前に出したり通常状態では、特に問題ないからネガティブに繋がらないと思う。

こういう感じで、もしかしたら心というのは存在せずに脳と臓器の繋がりと中で感じれる何かと捉えることもできるかもしれない。その何かを心と読んでるに過ぎない。

そして、その心という言葉には様々な妄想的イメージが植え付けられており、それすらも奥に押し込む要因になっているかもそれないレベルにややこしい。

もし、この情報が正しいならば、意識でメンタルのしんどさを改善することができるかもしれない。

例えば、ネガティブな事を何かしらの理由で考えてしまったときに胸が締め付けられるような感覚になると思うが、そのときに胸を意識して圧力から解放した後にポジティブなことを考えることで楽にメンタルをコントロールできるかもしれない。

ただ、こういうテクニック的な方法の欠点は根本的な解決ではないという点にある。

なので、根本的な解決をすることが重要である。

 

最後に

今回は、小手先の技術の紹介をしました。

以上(もうねる)

縛りの驚異

今回は、様々な縛りについて考えていきます。

例えば、これをすると体に悪い、これは相手に失礼だからしない方がいい、今時こんなことを言うのは時代遅れ、仕事中に音楽を聞くのは論外、あくびは失礼、おならはモラハラ、セクハラ、パワハラ、スメハラ、片付け、締切りなど考え出したらキリがなく、これらの縛りがとんでもないストレスに繋がっていることを知ってもらいたい。

これらの縛りが何故生まれてしまうのかというと必ず肯定派と否定派が現れ、何故か分からないが否定派の考えに染まってしまうから、謎の常識が発生すると思う。

事実に基づいた情報ならまだしも、感情で縛っているのを見ると誰得なのだろう。

もちろん相手が嫌がるセクハラやパワハラなどは、よくないと思うが全て駄目だと縛ってしまうと人は制限された気持ちになり、人とのコミュニケーションを拒み始めると思っている。実際に世間体に敏感な子供達は、何かしらのストレスを感じ、色々と気を遣い大変な思いをしているはずだ。それにもし母親が常識に徹するマニアなら、その子供は地獄を見るだろう。

 

では、何故これらの縛りがストレスになるのかというと自分の場合だが、常識を守る為に余計なエネルギーを使わないといけないからである。また、それに加えてそういう状況の中で本音を言えないからである。

例えば、相手がうざい事を言ってきたとする。本来ならば、うざい黙れと伝える事で無駄なエネルギーを消費せずに問題を解決できるのだが、現在の世の中では、暴言にならないように論理的に思いを伝えるにはどうすればいいのか等を考えないといけなくなっている。なぜ、この状況を受け入れたのかというと多数の人がそうしていて、この考えに同感する部分があるからである。そういう少しの隙を見計らって新たな常識が増えていく。

ここで問題なのは、現実を受け入れるのではなく理想論に逃げているという点である。そうすると、人と人の関係から、データと人の関係になってしまうのだ。

それに逃げるのは簡単で受け入れるのは簡単ではないため、一度理想に逃げてしまうと永久的な地獄を受け入れてしまうことになる。

 

じゃあ、どうすればいいのか

現実を受け入れながら本音を伝えよう。

現実とは事実であり、頭で作り上げた偽のテンプレデータではない。

一人だけでなく両者がこの考えを受け入れた状態でコミュニケーションをとってほしい。最初は、本音を伝えることは恥ずかしく怖いと思うが、一生地獄を見るよりいいだろう。

必ず相手の現実を受け入れ、その上で本音の意見を伝えてほしい。

そうすると余計な負担とストレスはなく、コミュニケーションが楽しくなるだろう。

正直、現代人のコミュニケーションには誰もがうんざりしていてつまらないと感じているはずである。

人間ってなに?というところから立ち返ってほしい。

 

最後に

見えない鎖に繋がれた日本人だが、ある意味国民性の延長線と思うので、そこも尊重しながら徐々に変わっていったらなと思います。

最後の最後に名言を残して終わりにします。

「現実を受け入れる姿勢を皆で」

 

 

人類が滅びるとしたら

今回は、自然環境によって人類が滅びたときに何を思うのかについて書いていきます。

また、考え方は人それぞれであり、様々な考え方ができるという前提条件の元、地味に思考します。

 

①テクノロジーに関しては快適な暮らしを実現する為によくここまで頑張ったなと感心する。だが、見えない部分でひそかに作られた製品の為、感動はなく、その先のテクノロジーに興味はない

②社会の仕組みについては、過保護で冒険心のない部分に後悔する。また、特に学校での時間の使い方を悔やむ。これについては、いいとこなし。警察などに助けられた人は感謝の気持ちを持てるはず。

③人間関係については日本限定になるが、もっと羽を伸ばせる環境で楽しく生活したかったと後悔する。結局、心に残るのは親友と家族と恩師のみ。それと考え方の変化がいい方向に向かっている為、その先を知りたいと思う

④宇宙の謎については、謎のままでいい。これが分かったところで人と人の関係の本質は変わらない

⑤猫は可愛い

 

最後に

これについて考えてみると、意外と思うことは少なくどうでもいいと思えてくる。

なので、今のところ自分の場合は死んだ先の事を考える必要はなさそうである。

 

遺伝子コード通りに生きて死ぬだけという淡白な人生と鮮やかな意味を

今回は、当たり前のことを当たり前に考えてみます。

 

人は遺伝子コードを持っており、泣けるぐらいそれに沿って物事を判断していく。

例えば、身を守る為に何かを辞めたり、子孫を残す為によりよい相手を選んだり、身の安全性を高める為に優秀な人と関わりゴマをすろうとしたり、生きるためにご飯を食べたりと全ての行動の裏には遺伝子コードが関わっていると思っている。

そこで生きる意味とは何ぞやについて考えると、何故か分からないが何かしらの理由で遺伝子コードに情報が書き込まれ、それを謎に引き継いでいくというシステムが出来上がっているので、そのシステムに従うことこそ生きるということになると思う。

なので、遺伝子コード自体が意味であり、生きるというのは、ただのシステムの流れであると考えることもできる。

これを見ると悲しくなるが、嬉しいことに感情という高機能システムが搭載されているため、悲しみを感じてしまうが楽しい思いもすることができる。

それに本質的ではないが、追加で生きる意味を加えることもできるため、色鮮やかにすることもできる。

自分の場合は感情に寄り添うのが好きなので、愛や友情こそが生きる意味であると考えているのでありますのます。

 

最後に

本質的に考えるとあっけない人生だが、それはそれでシンプルでいいと思うので、そこを踏まえて上で味付けをすれば、納得のいく考えを構築でき、生きる意味について悩む事はなくなると思います。

それと、長い時間と様々な反応などの中で奇跡的に生まれたシステムなので、個人がそれについて考えてしっくりくるわけがない。

とりあえず、人によって遺伝子コードが少し違うかもしれないので、あれですが想像と現実は違うという認識をもってゆったりと生きていきましょう!

 

 

重要な共同体と自由を求める個人の問題について

今回は、シンプルにテーマについて考えていき、そこからどこに繋がるのかを推測していきます。その仮説が分かれば今後の人生にプラスになると思うので、よければ最後までお読みください。

 

前提条件

ここでの共同体は、助け合うことが可能であり柔軟でフラットな理想の形である。個人の自由とは心の自由に重きを置くこととする。

 

この二つについて天秤にかけたイメージで考えると分かりやすいが、現在の日本では様々な要因によって個人の自由という精神的エネルギーが活発になっており、共同体に属することが困難になってきていると思っている。要するに自由になりたい人同士が交わると、進行方向が同じになりにくい為、そのような状況になると仮定する。

では、そのような状況の中でどのような条件が揃えば、共同体が成立するのかを考えていく。

まず、3つのグループを分けていく。

①個人の自由に重きを置く人

②他者に合わせる協調性思考な人

③両方を兼ね備えた柔軟な人

 

ざっくりと3つに分けたが、その中から更に分解することはできるが、ここではわざわざ書くことはせず、流れの中で必要であれば追加していく。

 

まず、③のみのタイプだけの空間を考えると共同体が成立する可能性は高いと考えることができる。何故かというと、①と②の人の気持ちが分かり、許容することができるからである。なので、個人の自由を尊重しつつ相手の気持ちに寄り添う心があればいい。

次に②のみで考えると個人の自由部分が抜け、小さなストレスの積み重ねによって共同体が崩壊する可能性がある。本音を言わない人同士が交わると薄っぺらな関係になり、共同体は成立しない。

次に①のみを考えると、共同体は成立しないように思えて実は成立する可能性を秘めている。つまり、中身のある人同士が同じ方向性を向いたときに共同体擬きは成立すると考えることができる。例えば、こういう人は仲間だけどこういう人は仲間ではないと決めている人がいるとすれば、偶然いた人を仲間と判断し偶然共同体擬きが生まれるようなことはよくあると思う。ただ、その全てが共同体に発展するかといえばそうとも言えない。何故なら、ここでの共同体の定義までには及ばないからである。

では、共同体擬きが生まれてから、共同体発展させるには何が必要なのか考えると、①~③に属さずに新たなグループに属することになる。それは、変化ともいえ、現在の自分から変わらないと共同体は作れないということである。要するに今の私たちには足りない要素があると考えられる。

では、何が足りないのかというと、今の世界から100%抜け出すことである。

身体は今の世界に置いておくが、精神と思考は新たな空間に持っていくこと。

要するに固定概念を捨て去り、共同体を作る為に行動することである。

その為には、固定概念を捨てないと何も始まらない。

その上で、ゼロから共同体を構築していけば、特に難しい問題とは思えない。

 

最後に

長くなりましたが、現在の日本で共同体を作るのはほぼ不可能であることがざっくりと理解できたと思う。

共同体を作るにはどうすればいいのか、何が原因で作れないのかを書きましたが、決定的な結論はまだ見えていないため、やはり新たな空間を作り、様々なアクションが必要なタイミングなのかなと思う。

少しでも幸せになりたいのであれば