縛りの驚異

今回は、様々な縛りについて考えていきます。

例えば、これをすると体に悪い、これは相手に失礼だからしない方がいい、今時こんなことを言うのは時代遅れ、仕事中に音楽を聞くのは論外、あくびは失礼、おならはモラハラ、セクハラ、パワハラ、スメハラ、片付け、締切りなど考え出したらキリがなく、これらの縛りがとんでもないストレスに繋がっていることを知ってもらいたい。

これらの縛りが何故生まれてしまうのかというと必ず肯定派と否定派が現れ、何故か分からないが否定派の考えに染まってしまうから、謎の常識が発生すると思う。

事実に基づいた情報ならまだしも、感情で縛っているのを見ると誰得なのだろう。

もちろん相手が嫌がるセクハラやパワハラなどは、よくないと思うが全て駄目だと縛ってしまうと人は制限された気持ちになり、人とのコミュニケーションを拒み始めると思っている。実際に世間体に敏感な子供達は、何かしらのストレスを感じ、色々と気を遣い大変な思いをしているはずだ。それにもし母親が常識に徹するマニアなら、その子供は地獄を見るだろう。

 

では、何故これらの縛りがストレスになるのかというと自分の場合だが、常識を守る為に余計なエネルギーを使わないといけないからである。また、それに加えてそういう状況の中で本音を言えないからである。

例えば、相手がうざい事を言ってきたとする。本来ならば、うざい黙れと伝える事で無駄なエネルギーを消費せずに問題を解決できるのだが、現在の世の中では、暴言にならないように論理的に思いを伝えるにはどうすればいいのか等を考えないといけなくなっている。なぜ、この状況を受け入れたのかというと多数の人がそうしていて、この考えに同感する部分があるからである。そういう少しの隙を見計らって新たな常識が増えていく。

ここで問題なのは、現実を受け入れるのではなく理想論に逃げているという点である。そうすると、人と人の関係から、データと人の関係になってしまうのだ。

それに逃げるのは簡単で受け入れるのは簡単ではないため、一度理想に逃げてしまうと永久的な地獄を受け入れてしまうことになる。

 

じゃあ、どうすればいいのか

現実を受け入れながら本音を伝えよう。

現実とは事実であり、頭で作り上げた偽のテンプレデータではない。

一人だけでなく両者がこの考えを受け入れた状態でコミュニケーションをとってほしい。最初は、本音を伝えることは恥ずかしく怖いと思うが、一生地獄を見るよりいいだろう。

必ず相手の現実を受け入れ、その上で本音の意見を伝えてほしい。

そうすると余計な負担とストレスはなく、コミュニケーションが楽しくなるだろう。

正直、現代人のコミュニケーションには誰もがうんざりしていてつまらないと感じているはずである。

人間ってなに?というところから立ち返ってほしい。

 

最後に

見えない鎖に繋がれた日本人だが、ある意味国民性の延長線と思うので、そこも尊重しながら徐々に変わっていったらなと思います。

最後の最後に名言を残して終わりにします。

「現実を受け入れる姿勢を皆で」